今回は岩手県に伝わる都市伝説を紹介します。
日本には隠れキリシタンなど、弾圧を恐れて隠れながら信仰をしてきた歴史もあるので、数百年前であれば別に珍しい事ではありません。
そして近代化と共にその歴史が明るみになり、どのような信仰をしていたのか、どのような集会や儀式を開いていたのか等が判明していきます。
しかし、この「隠し念仏」に関してはそのほとんどが表に出て来ません。
今でもある「らしい」に留まり、どこで、誰が代表で、何を行っているのかが公の場に出てくる事はありませんでした。
「隠し念仏」ってなに??
浄土真宗の開祖である親鸞という僧侶を思い出して欲しい、1度は誰しもが教科書で見ているはず。
その親鸞の息子である善鸞が関東地方へ布教活動をする為に派遣された際に、浄土真宗ではなく、邪教とされる専修賢善の教えを信仰するようになり、その教えを広めてしまう…。
邪教を広めていると知った親鸞は善鸞に手紙を送り、絶縁し破門としました。
善鸞は、自分自身が善知識(正しい仏法の継承者)であり、生き仏だ!と周囲に話す事で、信者を集め善鸞は隠し念仏の指導者となる…。
隠し念仏の指導者は『御書』という書き物を読む事が出来るようになり、儀式を執り行う。
隠し念仏の聖典
キリスト教にも仏教にも様々な「聖典」があり、もちろん隠し仏教にも聖典は存在する。それが法要章と呼ばれるものである。
『法要章』には儀式に関する事柄等が書いてあり、善知識と会い、とある儀式を行って何年何月何日何時に阿弥陀仏に必死に頼みこみ救われることで阿弥陀仏から救済を得て信仰心が確立する事を目的としている。
これは、阿弥陀仏=善知識、という図式になってしまい仏はこの世の生きている人間という事になる。
浄土真宗の教えでは、この世のものではない、絶対的な救済者として阿弥陀仏を置いているので、この教えは全くもって真逆である。
しかし、それでも信仰をしてきた人達は現代までその教えを守っており、隠し念仏の信者の中では、既に伝えられていた教えを表法と呼び、隠し念仏の教えは内法(内信心)と呼ばれて伝わっている。
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