製造時期:紀元前15世紀頃
発見場所:トルコのアナトリア高原
作成理由:古代の巨大地下都市
巨大な地下都市カッパドキア

1965年にトルコのアナトリア高原で発見されたカッパドキアは、世界でも珍しい少数の遺跡群として知られています。
奇妙な形で地面から突出しているような景観にも驚きますが、カッパドキアの真髄は巨大な地下施設。
地上に出ているのはほんの一部で、遺跡群のほとんどが地下に存在しているのです。
カッパドキアの施設では、2万世帯、約10万人もの人間が暮らせるほど巨大なスペースが作られています。
都市の中心部には通気口が作られ、階層ごとに階段や通路で連結されて行き来しやすくなっているだけでなく、通路と部屋の境目には石の扉があることから部屋としてしっかり区切られていたことが伺える。
食事を作るためのキッチンと思われる場所、井戸や換気をするため通気口、下水道のような汚水処理用の溝など地下に作られた巨大マンションにようになっています。
また、地下であることから照明に使うための油を貯蓄するための壺や、家畜を飼育するための部屋も。
カッパドキアの中でも、デリンクユと呼ばれる地下都市はまだ全てが調査されておらず、地下18階から20階にも及ぶほど巨大な施設になっています。

この巨大な古代地下都市を住処としていたのが、ヒッタイト人と言われている。
ヒッタイト人は「謎の民族」としても知られていますが、初めて「鉄」を使用したと言われていることでも有名です。
彼らヒッタイト人に伝わる神話の中には、古代核戦争の記録が残されていると言われています。
アナトリア高原の奇妙な三角岩は、自然にそうなったわけではなく、核爆発による高熱によって誕生したものだと提唱する専門家も少なくありません。
信じられないほど地下深くまで作られたカッパドキア地下都市は、もしかしたら古代核戦争から逃れるための核シェルターだったのかもしれない。
また、古代に核戦争が起こっていたのではないかと思わせる遺跡は、これだけではありません。
古代インダス文明では、カッパドキアよりも核心に迫る遺物が発見されています。
モヘンジョ・ダロ遺跡に残る核戦争の痕跡

現在のパキスタン南部で古代に繁栄を極めていたとされるインダス文明の中でも最大級の遺跡モヘンジョ・ダロ。
紀元前2500年頃~1800年頃のものとされるこの場所には、黒いガラス質の石が800m四方にわたって覆っている場所があります。
この黒いガラス質の石とは、想像を絶するような高熱で溶けた砂が、再び固まって出来たものです。
黒ガラス質の石で覆われている周辺では、熱によって溶けてくっついてしまったレンガや、ねじ曲がったままガラス化した壺の破片なども発見されています。
明らかに何らかの熱が加わって出来たものであることは明らかですが、調査した専門家によると「大規模な火災、もしくは火山の噴火によるもの」という見解が出されていました。
しかし、インダス川周辺では、そのような大規模な火山の噴火があったという痕跡は1つも確認されていません。
そもそも、砂が溶けてガラス化するほどの高熱は一般的に見られるようなものではなく、砂漠で核実験を行われたような場所にしか存在しないはずなのです。
さらに驚くのは、原爆によって高熱に覆われた広島で発見された溶けかかった状態で固まったガラス瓶の状態と酷似しているといいます。
また、モヘンジョダロ周辺の黒い石をローマ大学で調査したところ、1500度以上の高熱によって急激に加熱されて出来たものという調査結果も。
インドで伝わるラーマーヤナやマハーバーラタなどの叙事詩には、まるで核戦争があったかのような記述もある。

私たちの想像している古代文明とは全く違って、現代と何ら変わらないほどの文明レベルを持っていた可能性を否定することは出来ないのです。
また、マハーバーラタに登場している、超古代兵器であるヴィマナも核戦争で使われたのではないか?とい割れています。

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