魔女狩りはキリスト教が原因だった⁉宗教によって作り上げられた魔女

古代から不思議な力を持った女性たちは「魔女」と呼ばれ、特別な存在として扱われてきました。

呼び方が多少違うこともありますが、これは世界各地で共通します。

もちろん日本も例外ではなく、邪馬台国の卑弥呼も不思議な能力を持った「魔女」だったと言えるでしょう。

卑弥呼のように神として崇められる魔女も入れば、呪文や魔術を使って人を殺してしまう恐怖の象徴としての魔女も存在しています。

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キリスト教がつくりあげた魔女たち

現代で魔女と聞くと、黒魔術や悪魔との契約などアンダーグラウンドなイメージが強いですが、元々全ての魔女が悪というわけではありませんでした。

ヒーリングなどの白魔術や、薬草を調合して人々の病気やケガを癒す民間の呪術師が、どうして人々を恐怖に陥れる魔女としてのイメージが強くなっていったのか…。

この「魔女=悪」という魔女観を作りだしたのがキリスト教なのです。

キリスト教が作った魔女のイメージ

キリスト教が世界中で拡大すると共に、魔女のイメージがネガティブなものへと変化していきました。

その原因は、一神教であるキリスト教が他の宗教の神々を悪魔とみなしたのと同様に、キリスト教が使用する魔術や悪魔祓い以外の魔術を全て有害な黒魔術であると断定したことにあります。

結果として、異教徒が使う呪術である黒魔術を使いこなす魔女たちは悪魔と契約した者たちであり、その手先だと考えられました。

魔女狩りに繋がるユダヤ教の迫害

「ユダヤ教徒がキリスト教徒の子供を殺し、その血を啜って飲む」

そんな噂をキリスト教の信者が流したことによって、ユダヤ教だけでなく、異教徒や民間の占い師が行っていた小規模な集会は全て邪悪な魔女の夜会(サバト)であると認定されたのです。

こうして異教徒の集会について悪い噂が付き纏う様になり、中世後期には魔女の邪悪なイメージが完成します。

魔女のイメージとサバト

サバト

魔女になるためにはキリストのシンボルである十字架を踏みつけ、血で悪魔との契約書にサインして魔王と契約し、爪痕などの「魔王の印」を体に刻み込む。

また、異教徒の集会である魔女たちの夜会を「サバト」と呼ぶようになりました。

サバトでは魔王の尻に口づけをするなどの崇拝行為、幼児を生贄にする残虐行為や乱交が行われていると考えられ忌み嫌われるようになります。

そもそもサバトという語源は、ユダヤの安息日として知られていることから、ユダヤ教徒の迫害の意味も込められていました。

さらに、1340年代になるとペストが流行し社会不安を煽られます。

そんな中でユダヤ教徒が井戸に毒物を混ぜたという噂を流されてしまったことで、本格的な迫害が始まり、異教徒である魔女の迫害から魔女狩りへと発展していくのです。

魔女狩りの手引書「魔女の鉄槌」

魔女の鉄槌

15~19世紀の間、魔女狩りによって魔女裁判にかけられて処刑される人々が激増しました。

処刑された正確な人数は定かではありませんが、約4~6万人が処刑されたと言われています。

魔女狩りは中世ヨーロッパで行われた大量虐殺といったイメージがありますが、初めて行われた大規模な魔女狩りは中世末期の1430年代、アルプス北西地域で起きたと言われる。

なぜこの地で、最初に大規模な魔女狩りが行われたのか。

それはアルプス北西地域に、当時大きな勢力を奮っていた異教徒集団ワルドー派の潜伏地があり、キリスト教の転覆を企てる可能性のある組織の弾圧を目的としたものだったのです。

また、1468年には異端審問官であった神学教授のハインリヒ・クラマーが「魔女の槌(つち)」という本を発行。

この本には魔女と魔王が契約する方法や、魔女裁判のやり方などがこと細かに書き連ね、「魔女の槌」は魔女狩りのバイブルとも言える手引書となりました。

魔女の槌が発行された当初は懐疑的な意見も多くありましたが、ルネサンス期の魔導書ブームで魔術に対する肯定的な意見が増加したことによって、魔女狩りそのものが衰退していったのです。

解明されない魔女狩りの謎

一旦は落ち着いていた魔女狩りですが、近世になると再びヨーロッパ各地で増加していくことに。

魔女狩りが活発になる以前は、教会が行っていましたが、司法権を持つ裁判所に委託されるようになってからはそちらが主導になります。

魔女裁判の内容

摘発された魔女たちは、サバトへ参加した際の詳細な描写を求められました。

魔女であることを自白させるための拷問も許可され、体にアザがあると「魔王の印」だと咎められるだけでなく、その箇所に「魔女刺し器」を刺して痛がれば魔女だと断定するだめの刃物まであったのです。

このように魔女裁判は理不尽極まりない内容がほとんどで、疑われた魔女を拘束して水に投げ、浮かべば魔女だが沈めば潔白などと言われたりもしました。

魔女に対する迫害は1645年に起こったイギリスのホプキンス事件やアメリカのアビゲイル・ウィリアムズが起こしたセイラム魔女裁判など欧州各地で盛んに行われるようになります。

魔女狩りが活発化した要因

魔女狩りの背景には、先述していた通りキリスト教が異教徒や民衆文化の弾圧、宗教の対立、戦争や疫病による社会不安、中央に権力を集中するための策略など複数の原因が考えられます。

どれが一番の引き金になったのかは、未だにわかっていません。

魔女狩りは民衆によって告発されることがほとんどで、例え事実無根であっても魔女裁判で審問官に有罪と決められたら拷問され、死刑にされるという惨劇が起こったのです。

噂ひとつで何万人もの人々が拷問にかけられた魔女狩りは、歴史上でも類を見ない狂気の沙汰としか言いようがありません。

この集団心理の原因は解明されておらず、科学が進歩した現代でも非難や吊し上げを意味する言葉として「魔女狩り」というワードが使われています。

そして、未だに魔女狩りの原因が解明されていないということは、この先の歴史でも同じことが繰り返される可能性があるのです。

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