大阪にも数多くの心霊スポットがありますが、その中でも『しおき場』が本当にヤバい!と噂で聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
この場所は元々が処刑場であり、今は日蓮宗の霊場になっています。
そんな屈指の心霊スポットである大阪の『しおき場』を紹介したいと思います。
大阪『しおき場』の基本情報
- 場所
大阪府豊能郡能勢町野間中 - 特徴
処刑場跡地 - 危険度
- 怖さ
処刑場跡地『しおき場』の場所と行き方
『しおき場』の場所と行き方はこちら。
しおき場の近くには、もう1つ野間トンネルと呼ばれる心霊スポットがあります。
そのトンネルを超えた先にあるのが『仕置き場』です。
かなり山奥に入るので場所がわかりにくいと思いますので、昼間に一度下見をした方が良いでしょう。
目印となるのは鳥居です。
しおき場の心霊スポットと言われている小屋は道路からも見えるのですが、夜中だと見逃してしまうことも。
小屋さえ見つけてしまえば、歩いて1分程度で辿り着けます。
しおき場の意味と歴史
なぜこの心霊スポットが『しおき場』と呼ばれるのか。
そもそも「しおき」という言葉は「お仕置き」を連想しませんか?
この場所が『しおき場』と呼ばれる理由は、その名の通りお仕置きをされる場所だったのです。
罪人の首を落とすという、お仕置きを…。
しおき場の歴史
戦国時代も終わりを迎えようとしていた頃の話。
「能勢家」と「多田家」という2つの領地の中間にある村で、とある問題が起きた。
その問題の責任が「能勢家」にあるのか「多田家」にあるのか、それぞれの村同士で口論となったが、お互いに一歩も譲らず口論だけでは済まなくなってしまう。
最終的には武器を持ち寄って、2つの村は殺し合いを始めてしまったのです。
それは想像を絶するような光景で、真っ黒な血で泉が出来たと伝えられるほどでした。
その状況を見かねた役人が仲裁に入ると一時は落ち着いたものの、またすぐに争う始末。
しまいには、仲裁に入った役人ですら暴行を受けるほど戦いは激しさを増していった。
あまりにも激しい争いだったので、兵士を派遣して鎮圧しようかとも考えましたが、たかが農村の争いで兵を派遣するのもバカらしいという話になりました。
困った役人は上層の権力者に助言を求めることに。
この権力者こそが、後に天下人となる「豊臣秀吉」です。
豊臣秀吉は、2つの村にそれぞれ10人の代表者を選出させ、その代表者を2つの村で交換し斬首刑とすることで和解するよう命を出した。
さすがに豊臣秀吉の命令という事で、2つの村はこの命令に従い交換処刑を行うことで争いは終わりを告げる。
そして、この20人の首を落とした場所が『しおき場』。
切り落とされた首はすぐ近くの川で洗い流し、さらし首として腐敗し朽ち果てるまで放置された。
その時の慰霊碑は、今でもしおき場に残っています。
しおき場で起きた心霊現象や怖い噂
斬首刑を行っていた処刑場だからでしょうか。
首の無い人間の霊を目撃する人たちが多く、しおき場には重苦しい空気が漂っています。
近くの川で心霊現象に遭遇することもあり、川が血で真っ赤に染まっていたという話が有名です。
歴史的にも、実際にこの場でたくさんの人の首が落とされ、さらし首にされたという事実。
それも罪人ではなく、代表に選ばれただけで何も悪いことはしていません。
その方達の怨念が渦巻く場所でもありますので、くれぐれも遊び半分で行かないようにしてください。
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