今回紹介するのは、地図にも記されることの無かった極秘の細菌兵器研究所「ヴォズロジデニヤ島」です。
場所は中央アジアのアラル海にある島で、ほんの数十年前までこの場所は極秘とされてソ連の地図にも載ってませんでした。
国家レベルで隠匿していたヴォズロジデニヤ島

ヴォズロジデニヤ島で行われていたのは、細菌兵器による実験です。
まるで武漢ウイルス研究所みたい…というと誰かから怒られそうなのでやめときましょうか。
話を戻して、このヴォズロジデニヤ島はかつてのソ連が建設した大規模な細菌兵器の実験研究所があった場所です。
暗号ネームは「アラルスク-7」。
現在この施設は完全な廃墟となっていますが、それは細菌兵器の開発が中止になったからではありません。
近づくことで、ほぼ確実に死亡する可能性が高すぎて誰も近づけないんです。
40種類以上の細菌実験が行われていた
1930年代に口蹄疫研究所として創設された施設です。
その名の通り、口蹄疫に関するワクチン開発を目的として開発されていましたが、1937年になるとソ連の細菌兵器研究所もヴォズロジデニア島に移されることになりました。
その当時は、島の名前も無いような僻地でしたが、研究所を設置したことでヴォズロジデニヤ島の名前が付けられます。
細菌兵器研究所が出来たことで、ヴォズロジデニヤ島には研究員だけでなくその家族も一緒に移り住み1つの街が出来上がりました。
居住区には1,500人以上の住民がおり、割と快適な暮らしができる様に設備も整えられています。
島の北部には、学校や病院に商店など生活に必要なものは一通りそろっている反面、島の南側では命を奪うための細菌兵器の実験が繰り返されているという、ぶっ飛んだ島の出来上がりです。
細菌兵器は1954年から1992年まで開発しされていて、炭疽菌、天然痘、野兎病、ブルセラ症、ボツリヌス菌、ベネズエラウマ脳炎、ペストなど、40種類以上に上る。
細菌兵器は繰り返される実験で、みるみるうちに強力になっていきます。
記録によると、防護服を着た兵士が毎日檻に入った動物に細菌兵器を霧で噴射し、もがき苦しむ様子が残っているようです。
一体この島でどれだけの動物が犠牲になったのかは、想像も出来ません。
そんな実験が繰り返されていく中で、ついに細菌兵器は人間に牙を向くようになりました。
要するに、何らかのかたちで細菌兵器が漏れちゃったんですよね。
当然対抗する術もなく、ヴォズロジデニヤ島の細菌兵器研究所は閉鎖に追い込まれることになります。
閉鎖後も細菌兵器が残る爆弾のような島
1971年、ヴォズロジデニヤ島の近くを通過した船が黄色い霧のようなものと遭遇しました。
その船に乗っていた人達は、数日後に天然痘ウイルスに感染しており、9人が感染したうえに家族を含む3人が死亡しています。
さらに、1972年には近くの沖合を漂流する船の中からペストに感染して死亡している遺体も発見されている。
1985年にはヴォズロジデニヤ島の草原でとんでもない量の動物の群れが死んでいるなど細菌がまだまだ残っていることが伺えます。
当然、このまま放置しておくわけにもいかないので、アメリカの処理チームが派遣されたが、島全体が細菌兵器のようになっているので全ての細菌を完全に取り除く事は出来ず、現在もそのまま廃墟として残っている。
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